ガーナ入国!

コトカ国際空港 いろいろ眩しい!

ガーナのコトカ国際空港に無事到着。
イミグレーションはとんでもなく長い長い列 迎えに来てくれてる夫、ごめんねまだまだかかりそう。 イミグレをクリアし、真っ先にサーフボードを探すとすでにターンテーブル外に放置されている。 スーツケースもすぐに発見 サーフボードが珍しいガーナ人に、おっ波乗りするの?みたいな声かけられながら外へ。眩しい日差し、鮮やかで賑やかな人だかり、ガーナとは2年ぶり。 ニコニコ歩いてくる真っ黒になった夫とは4ヶ月ぶり。本当に来ちゃったし。

まだ舗装されてない道も多いアクラの町
デコボコで渋滞の多い道をバイクで行く                                    

空港からアパートまで夫がバイクで先導すると言う。空港価格をふっかけてきたタクシーの運転手、夫を待ちきれずウロウロしだした。待ってればいいのに、案の定、夫とすれ違ってしまう。なんとか合流して出発し、ガーナの首都アクラの中心部へ向かう。

交差点で停車する車にすかさず集まる物売りの人たち、赤・色・緑が印象的な高級アパートメント、デコボコだらけの赤土の道、ガーナらしいなって感じる。

アパート リビング 一体何畳あるんだろう
アパートリビング 広すぎて1枚に入りきらない!
ダイニングキッチン 洗濯機がキッチンにあるって便利
ゲストルーム せっかくだから誰か泊まってほしい

アパートは想像を超える広さと高級感。
ガーナの富裕層や駐在員が住むレベルで完全に分不相応 掃除や維持が大変に違いない。でもきっと生涯でレアな機会なので満喫しなくては!

夫によれば、これが一番値段の割にマシな味らしい

ガーナ最初の夜は夫が買っておいてくれたメイドインガーナチョコとワインで乾杯。
リアルガーナチョコはパサパサのち若干しっとり。値段は板チョコで約250円と割と高い。ロッテのガーナチョコにはかないません。

日本出国!

これからはこれが私の全財産

早朝5:00出発で実家の両親に津の港まで送ってもらう。
今回はANAで中部→成田、エミレーツ航空で成田→ドバイ→ガーナというルート。実家を出てからマイナス9時間の時差も入れると約39時間…相変わらず遠い。

高速船はほぼ満席。母からの遠足チックなお菓子やお茶、そして2人から手紙を渡される。出航~私と両親は人目もはばからず、見えなくなるまで、お互いに手を振り続けてた。元気でいてね。私も元気でいるから。

サーフボードケース、スーツケース、バックパックが荷物のすべて。
宅急便で送ることも考えたけど、高いしガーナの郵便事情が信用できないから持っていけるだけの量に絞った。
エミレーツのウェブサイトではチェックインラゲッジは23kg×2ケまで、150cm以上は175USDの超過料金となっていた。194cmのサーフボードは完全にチャージ決定だ。
でもあきらめ悪くオフィスに電話したら、チェックインは2個の合計30kg、サーフボードは300cmまでなら追加料金不要と言われた。本当に?!ならなんとかなりそう!と体重計に何回も乗って数字を合わせた。
中部から成田までのANAは疲れたのでなるようになれ~でチェックせずだけど。

空港について、友達に送る荷物を発送してたら思わず時間がかかり、ANAカウンターチェックインがギリになってしまった。急いでください!今度は乗せませんから!って叱られながら久しぶりにゲートまで走った。そのせいかANAでは追加チャージなし!しめしめ。まずは第一関門突破!

飛行機の中で、両親からの手紙を読んだ。2人の気持ちが痛いほど胸に届いて、涙が止まらない。目標を達成すること、元気でいること。約束守ります。

成田に定刻通り到着!が、ここで今回最長の12時間以上待たなくてはいけない。まずは空港散策、そして年賀状の返事を今頃ながら送ることにした。ガーナへ移住することの報告とこれからは受け取れないことのお知らせとして。ガーナからのエアメールは届くか怪しいし、ガーナの個人宅って住所ないらしいから。そんなことをしてるうち、あっという間に時間が過ぎていった。

よし、いざエミレーツカウンターへ!と気合入れて向かったらなんとターミナルが間違っている! 焦りながらバスで結構な距離を移動。
カウンターでは新人の女の子が後ろの先輩から指導を受けながら対応中。先輩結構怖そう。大丈夫?サーフボードなんてややこしいもの持ってきてごめんね、でもチャージしないでね、と心の中で勝手なお願いをする。
従量制でしょ!と先輩の鋭い一言のおかげでノーチャージ!やりました、何回も体重計に乗った甲斐ありました、エミレーツでよかった。そしていよいよ離陸!

ドバイ空港 思ったよりゴージャス感ナシ
一番賑わってたカフェへ
中東でも日本のラーメンは人気みたい

トランジットのドバイへ到着。空港中歩き回ってから賑わってるカフェでひとやすみ。 予想に反して空港は大したことない。もっとゴージャスな感じを期待してたのにな。定刻通りドバイを出発。ガーナはもうすぐ!

ガーナ出発までにしたこと

ガーナで暮らすことに決まったものの、仕事の引継が最大の課題。3月末まで有休消化なしでも間に合うか不安なほどだった。資料・データの整理、関係者の方々への挨拶、課内の人たちへの説明などなど。迷惑をかけることは必至だけど、少しでも少なくしたいという一心だった。間違いなくできてないけど。

送別会は本当にたくさんして頂いた。自分的には、長期かも、でもすぐ帰ってくるかも、という思いもあってひっそりと行きたかったけど、アフリカだし二度と会えなくなる前に、って思って頂いたのかも。送別会がきっかけでいろんな方に会えたのはうれしかった。ただ出発前に体調不良・MRI検査が必要になったことで会えなかった方がたくさんいたのが残念。

【ガーナ出発までにしたことのメモ】

  • 各種契約解約(アパート/ Wi-Fi / 電気ガス水道、光Wi-Fiは海外移転が理由の場合は解約金不要! 日本の携帯番号を残すため楽天モバイルは最低金額で継続)
  • 車の処分(売れずにスクラップ…ボルボくんごめんね…3月末時点で所有していると税金がかかるから事前に手放す、正確には手続きの関係で1月末にて)
  • 住民票手続き(1年以上の渡航者は海外転出手続き、マイナンバーカードも無効になるが返却不要)
  • 税金・国民年金・国民健康保険の手続き(住民税は今年度分の支払い手続き必要、年金・健康保険は継続か中断か選択可能→中断を選択、出発までの4月の日払い分は支払不要!健康保険証は成田空港郵便局より返却)
  • 生命保険などの住所変更(医療保険は日本に連絡のつく住所と英語での診断書があれば海外でも利用可能)
  • クレジットカード申し込み(海外旅行保険付帯カードを無職になる前に)
  • 運転免許更新
  • 国際免許取得
  • ビザ取得(在日ガーナ大使館へ郵送にて申請、約1週間、返送用のゆうパック要同梱)
  • 黄熱予防接種証明書の書き換え(署名が古いパスポートのものだったため、セントレアの保健所にて)
  • 荷物の断捨離(不要のゴミはリサイクルセンターへ持ち込み、本やCDはブックオフで結構高く売れた)
  • 実家への引っ越し(夫婦2人分の持っていけない荷物は実家と弟のレストランの倉庫へ)
  • 健康診断(歯科/乳がん/子宮がん)
  • 必要な薬の処方(皮膚科/眼科/漢方)
  • 予防接種(過去に黄熱病<ガーナは必須> / 狂犬病 / A型肝炎を受けたが今回はA型のみ念のため接種、本当は2回接種が推奨だがドクターが以前受けているから今回1かいでも効くだろうとのこと、マラリアは予防接種なしで予防薬や治療薬は現地で入手可能)
  • SIMフリー携帯電話購入(iPhone SE、名古屋のiphoneショップにて)
  • サーフグッズ購入(ダブルケース /2本目のサーフボード / フィン / ハット、リーシュは現地サーフショップで挨拶代わりに購入予定)
  • 日用品購入(化粧品類 / 生理用品など 現地では購入が難しいクォリティのもの)
  • 水着購入(水泳用ワンピース/サーフ用ビキニ、海外のパッドがあわないため ユニクロワンピース調子いいからもっと買えばよかった)
  • 日本のメインバンクへの入金(クレジットカード、生命保険料などの支払い用)
  • USドルへの換金(英語学校用、「外貨両替ドルユーロ」は円振込で翌日ドル発送で事前に用意できてよかった)
  • 両親へFaceTime講習会(私iPhone↔父iPad)
  • 年賀状のお返事書いてなかった方へ返信兼今後不要のご連絡

ガーナへの移住 思い立ったきっかけ 3

両親と上司に退職と引っ越しを伝えたられた12月、変化が訪れた。サッカーの監督が仕事の夫に、アフリカ ガーナからオファーがあった。夫にとっては二度目のガーナ。前回はガーナプレミアリーグのクラブの監督で、プロ野球でいうと巨人みたいなかんじの歴史あるビッククラブだった。プロクラブの監督経験がない日本人ってことで、トヨタのエンジニアには無理だ!とか最初は結構たたかれたらしい。リーグが始まり、低迷していたクラブをリーグ1、2位を争えるところまで立て直したので、サポーターの熱狂的支持を集めることができた。私もそのとき2回ガーナへ行ったけど、試合の盛り上がりはすさまじかったし、道端でもスーパーでもCoach!King Kenny!コチート!とか声かけられたり写真撮られたりで、あれいつの間に有名人になっちゃったの?ってびっくりした。今回はそれから2年後で、別のクラブ。夫的には大好きなガーナにやっと帰れる!と大喜びだった。

私の方は、4月からの職も探さなくては、ということでツアーガイドに登録したし、ガイド募集を探し、外資の旅行会社の電話面接も受けた。しかし、希望の会社にはあえなく不採用。もっと経験や研修を受けてからにして下さいと。こんな英語力では仕事もまわってこないし、お客様にも失礼だ…と悩みだした。仕事がなく経済的に苦しくては、湘南での1人暮らしも学校で勉強を続けることもできない。

悩んでいるうち、ガーナが英語圏なので、英語を使わなくてはいけない環境で生活して英語力を向上させては?という案が浮上した。でも、夫の仕事は超不安定。成績が悪かったらすぐクビ。今までも、行ったと思ったら話が違う!ってすぐ帰ってきた、ってことも1度ではない。しかもガーナの監督の給料って正直良くないし不払いもよくある話。2人で露頭に迷うんじゃないか、と迷いに迷った。でも、私が一緒だと、すぐ辞めてやる!って状況のストッパーになるかもしれないし、駐在員クラスの生活レベルは到底無理だけど、ローカルレベルならやっていけそう。ということで思い切って行くことにした。

両親に再度打ち明けたら、夫婦はやっぱり一緒に暮らす方がいいと今度もすんなり納得してくれた。日本から遠い国だし、アフリカってことでやっぱり心配そうだけど。なんとか2人でやっていきます、って伝えた限りはやるしかない。日本に帰る家もない、ってことは夫の仕事先へついていくことになる。明日のことはわからない。日本に帰るかもしれないし、ずっと帰れないかもしれない。実感はないけどそういうことか、と感じていた。

ガーナへの移住 思い立ったきっかけ 2

通訳を目指すために、意志の弱い私は独学は無理なので通訳学校に通うことにした。三重県内には当然なかったので、名古屋の「インタースクール名古屋校」に決めた。名古屋駅から徒歩圏内、宿題が多くて厳しいっていう口コミが決めてだった。サンプルレッスン、レベルチェックテストを受けて4~9月コースのスタートにぎりぎり間に合った。テストの結果は一番レベルの低い通訳基礎クラスⅠ。それから毎週土曜日に通学することになった。担当の仕事のとき以外は休まず、たいてい仕事後にカフェに行って勉強したり、土曜早朝名古屋入りして宿題をこなす、という日々。リスニングとグラマーのうち、グラマーの先生がかなりきつい女史で、いつも恐ろしいくらい緊張感が漂ってたけど、2人のクラスメイトのおかげでそれも笑いのネタに。放課後の飲み会や課外活動もあってすごく励みになった。

結構がんばったし、実力もついた気がしたから10月からは上のクラスに進級できると思ってたけど、結果は進級不可。かなりへこんだ。基礎クラスⅠ→Ⅱ→Ⅲ→会議通訳と進んで、3年後くらいには通訳として仕事を始める目標だったから。このペースでは遅くなりそう、どうすれば最短距離だろうって考えた。で、取得したものの市役所で働きだしたために活用していなかった通訳案内士の資格を活かして、外国人のツアーガイドをしながら勉強しようと決めた。

そのとき日本にいた夫と、ガイドの需要がより多く、空港へのアクセスのいい関東へ引っ越そう!せっかくならサーフィンもできるし鎌倉がいい!と鎌倉移住計画が着々と進んだ。ネットでアパートや町のことを調べ、下見にも行った。結局鎌倉より住みやすい湘南に変更になったけど。ほぼ方向性が決まったところで9月も終わりに近づいてきた。3月末で退職するとなると市役所では半年前に退職の意志を上司に伝えなくてはいけないことになっている。しかし、ものすごく心苦しくて言い出しづらい。キャリア枠として中途採用、いろんな勉強の機会をもらい、事業化されたインバウンドプロモーションの担当をやらせてもらったというのに、辞めるっていうことがドアを開けて、開けっ放しで去るみたいで。

意を決して直属の上司へ9月最終日に伝えた。同僚、さらに上の上司、職員課、課内の人たちにまで伝わったのは忘年会の頃。いろんな方に引き留めて頂いたが、意外にも両親はそうではなかった。市役所への就職が決まった時、結婚が決まった時より喜んでいたから大反対かと思ったのに。通訳学校に通い始めたから、いつか辞めるって言いだすと思っていたけど予想より早かったと。さすが親…見抜かれていた。

ガーナへの移住 思い立ったきっかけ 1

記憶力には自信がない。のんで記憶をなくすのは得意技だし、日常のできごともすぐに忘れてしまう。だからやらかしちゃったエピソードも、盛り上がったサーフトリップのことも、その時一緒にいた友達がいつも語り部になってくれる。夫と初めて出会った日、親友が私のことを他己紹介してくれたときも、そんなことあったっけ?よく覚えてるなぁって言ってた気がする。それもうろ覚えだけど。

アフリカのガーナでの移住生活が始まってあっという間に2週間以上が過ぎた。我ながら変化の多い人生だったと思うけど、今回のことは記憶のかわりに記録に残しておかなくては、と思う。安定感抜群で担当のインバウンドの仕事にやりがいもあった公務員の職、大好きだったVOLVO V70、職場にも駅にも徒歩で行けた便利なアパート、すべて手放し、高齢の両親も弟夫婦に託して、無謀な生活を始めることを決めたから。

そもそも、なぜガーナで暮らすことになったか、それもきちんと整理しておかなくては。2016年のクリスマスイブ、身体動かそうよと公園で夫とサッカーの1対1をしていて、むきになった私は左膝の前十字靭帯を断裂してしまった。ドクターに「ひっそりした人生を送るなら手術しなくてもいいけど、どうする?」と言われて、迷わず手術を選んだ。サーフィン、フラメンコ、好きなことは激しく動くことばかりだし、ひっそりした人生なんて到底無理。

評判の名医とのことで、手術は翌年の3月10日まで待たされた。人生初の手術。2週間の入院。今まで大きな怪我もなかったけど、もう無理無茶はできない、人生何がおこるかわからないんだ―。おばあちゃんたちが苦しそうにうめく、眠れない病室で思いが巡る。やり残したことなかったっけ? 何かやってみたいことなかったっけ?人生のプチ回想をしてると、小学生のときの文集に書いた将来の夢「世界で活躍する通訳士!」にひっかかる自分を発見。今までも無職のタイミングで英語を勉強してきたけど、ずっと中途半端。市役所では、英語できるから、って海外出張や翻訳を担当させてもらってたことも、過剰評価にすごく申し訳なくて情けなく感じてた。でも仕事と勉強の両立もできてない。なら、勉強はじめて通訳を目指してみよう!そう決めてまずは通訳学校を探し始めた。