ガーナへの移住 思い立ったきっかけ 3

両親と上司に退職と引っ越しを伝えたられた12月、変化が訪れた。サッカーの監督が仕事の夫に、アフリカ ガーナからオファーがあった。夫にとっては二度目のガーナ。前回はガーナプレミアリーグのクラブの監督で、プロ野球でいうと巨人みたいなかんじの歴史あるビッククラブだった。プロクラブの監督経験がない日本人ってことで、トヨタのエンジニアには無理だ!とか最初は結構たたかれたらしい。リーグが始まり、低迷していたクラブをリーグ1、2位を争えるところまで立て直したので、サポーターの熱狂的支持を集めることができた。私もそのとき2回ガーナへ行ったけど、試合の盛り上がりはすさまじかったし、道端でもスーパーでもCoach!King Kenny!コチート!とか声かけられたり写真撮られたりで、あれいつの間に有名人になっちゃったの?ってびっくりした。今回はそれから2年後で、別のクラブ。夫的には大好きなガーナにやっと帰れる!と大喜びだった。

私の方は、4月からの職も探さなくては、ということでツアーガイドに登録したし、ガイド募集を探し、外資の旅行会社の電話面接も受けた。しかし、希望の会社にはあえなく不採用。もっと経験や研修を受けてからにして下さいと。こんな英語力では仕事もまわってこないし、お客様にも失礼だ…と悩みだした。仕事がなく経済的に苦しくては、湘南での1人暮らしも学校で勉強を続けることもできない。

悩んでいるうち、ガーナが英語圏なので、英語を使わなくてはいけない環境で生活して英語力を向上させては?という案が浮上した。でも、夫の仕事は超不安定。成績が悪かったらすぐクビ。今までも、行ったと思ったら話が違う!ってすぐ帰ってきた、ってことも1度ではない。しかもガーナの監督の給料って正直良くないし不払いもよくある話。2人で露頭に迷うんじゃないか、と迷いに迷った。でも、私が一緒だと、すぐ辞めてやる!って状況のストッパーになるかもしれないし、駐在員クラスの生活レベルは到底無理だけど、ローカルレベルならやっていけそう。ということで思い切って行くことにした。

両親に再度打ち明けたら、夫婦はやっぱり一緒に暮らす方がいいと今度もすんなり納得してくれた。日本から遠い国だし、アフリカってことでやっぱり心配そうだけど。なんとか2人でやっていきます、って伝えた限りはやるしかない。日本に帰る家もない、ってことは夫の仕事先へついていくことになる。明日のことはわからない。日本に帰るかもしれないし、ずっと帰れないかもしれない。実感はないけどそういうことか、と感じていた。

ガーナへの移住 思い立ったきっかけ 2

通訳を目指すために、意志の弱い私は独学は無理なので通訳学校に通うことにした。三重県内には当然なかったので、名古屋の「インタースクール名古屋校」に決めた。名古屋駅から徒歩圏内、宿題が多くて厳しいっていう口コミが決めてだった。サンプルレッスン、レベルチェックテストを受けて4~9月コースのスタートにぎりぎり間に合った。テストの結果は一番レベルの低い通訳基礎クラスⅠ。それから毎週土曜日に通学することになった。担当の仕事のとき以外は休まず、たいてい仕事後にカフェに行って勉強したり、土曜早朝名古屋入りして宿題をこなす、という日々。リスニングとグラマーのうち、グラマーの先生がかなりきつい女史で、いつも恐ろしいくらい緊張感が漂ってたけど、2人のクラスメイトのおかげでそれも笑いのネタに。放課後の飲み会や課外活動もあってすごく励みになった。

結構がんばったし、実力もついた気がしたから10月からは上のクラスに進級できると思ってたけど、結果は進級不可。かなりへこんだ。基礎クラスⅠ→Ⅱ→Ⅲ→会議通訳と進んで、3年後くらいには通訳として仕事を始める目標だったから。このペースでは遅くなりそう、どうすれば最短距離だろうって考えた。で、取得したものの市役所で働きだしたために活用していなかった通訳案内士の資格を活かして、外国人のツアーガイドをしながら勉強しようと決めた。

そのとき日本にいた夫と、ガイドの需要がより多く、空港へのアクセスのいい関東へ引っ越そう!せっかくならサーフィンもできるし鎌倉がいい!と鎌倉移住計画が着々と進んだ。ネットでアパートや町のことを調べ、下見にも行った。結局鎌倉より住みやすい湘南に変更になったけど。ほぼ方向性が決まったところで9月も終わりに近づいてきた。3月末で退職するとなると市役所では半年前に退職の意志を上司に伝えなくてはいけないことになっている。しかし、ものすごく心苦しくて言い出しづらい。キャリア枠として中途採用、いろんな勉強の機会をもらい、事業化されたインバウンドプロモーションの担当をやらせてもらったというのに、辞めるっていうことがドアを開けて、開けっ放しで去るみたいで。

意を決して直属の上司へ9月最終日に伝えた。同僚、さらに上の上司、職員課、課内の人たちにまで伝わったのは忘年会の頃。いろんな方に引き留めて頂いたが、意外にも両親はそうではなかった。市役所への就職が決まった時、結婚が決まった時より喜んでいたから大反対かと思ったのに。通訳学校に通い始めたから、いつか辞めるって言いだすと思っていたけど予想より早かったと。さすが親…見抜かれていた。

ガーナへの移住 思い立ったきっかけ 1

記憶力には自信がない。のんで記憶をなくすのは得意技だし、日常のできごともすぐに忘れてしまう。だからやらかしちゃったエピソードも、盛り上がったサーフトリップのことも、その時一緒にいた友達がいつも語り部になってくれる。夫と初めて出会った日、親友が私のことを他己紹介してくれたときも、そんなことあったっけ?よく覚えてるなぁって言ってた気がする。それもうろ覚えだけど。

アフリカのガーナでの移住生活が始まってあっという間に2週間以上が過ぎた。我ながら変化の多い人生だったと思うけど、今回のことは記憶のかわりに記録に残しておかなくては、と思う。安定感抜群で担当のインバウンドの仕事にやりがいもあった公務員の職、大好きだったVOLVO V70、職場にも駅にも徒歩で行けた便利なアパート、すべて手放し、高齢の両親も弟夫婦に託して、無謀な生活を始めることを決めたから。

そもそも、なぜガーナで暮らすことになったか、それもきちんと整理しておかなくては。2016年のクリスマスイブ、身体動かそうよと公園で夫とサッカーの1対1をしていて、むきになった私は左膝の前十字靭帯を断裂してしまった。ドクターに「ひっそりした人生を送るなら手術しなくてもいいけど、どうする?」と言われて、迷わず手術を選んだ。サーフィン、フラメンコ、好きなことは激しく動くことばかりだし、ひっそりした人生なんて到底無理。

評判の名医とのことで、手術は翌年の3月10日まで待たされた。人生初の手術。2週間の入院。今まで大きな怪我もなかったけど、もう無理無茶はできない、人生何がおこるかわからないんだ―。おばあちゃんたちが苦しそうにうめく、眠れない病室で思いが巡る。やり残したことなかったっけ? 何かやってみたいことなかったっけ?人生のプチ回想をしてると、小学生のときの文集に書いた将来の夢「世界で活躍する通訳士!」にひっかかる自分を発見。今までも無職のタイミングで英語を勉強してきたけど、ずっと中途半端。市役所では、英語できるから、って海外出張や翻訳を担当させてもらってたことも、過剰評価にすごく申し訳なくて情けなく感じてた。でも仕事と勉強の両立もできてない。なら、勉強はじめて通訳を目指してみよう!そう決めてまずは通訳学校を探し始めた。